体育会の歴史

上智大学は1913年、専門学校令による大学として創立された。2013年には創立100周年を迎え、その発展の歴史は教育と研究の両面を合せ持つが、学生による体育会としての自主的な課外活動も多くの発展を行ってきた。

現在では、40団体が上智大学の体育会に加盟し幅広い活動を行っている。  
資料によると、1915年に発行された「蘇比耶」の中に「卓球部につき」と題する一文が掲載されており、運動部として見つかった資料の中では最初の記事であり体育会の歴史の1ページとして刻まれている。しかし、1913年には硬式野球部なども存在したとされ上智大学体育会のルーツはすでに90年以上前にもさかのぼるのである。

1928年、サッカー部が設立され、戦争のさなか、2年連続してリーグ戦優勝を成し遂げている。当時は同好会として活動を行う団体が多かったが1930年代〜50年代に多くの同好会が部活として承認された。その中には硬式テニス部やバスケットボール部などが明記されている。

その後、運動部の多くが戦争の影響を受けたとされ戦争末期にはほとんどの活動は停止した。しかし、サッカー部や硬式野球部は献身的な努力によって戦後における上智スポーツ復興の先達としての役目を果した。

戦後、麹町6丁目の一角に運動場が確保された。そして1949年には真田堀の借用契約が締結され、翌年の1950年に真田堀運動場の開場式が催されている。戦後の焦土の中からいち早く復活したクラブに卓球、野球、乗馬、サッカー、自動車、山岳、バスケットボール、テニスの8団体があり、水泳、陸上、氷上の3団体が新たに誕生している。  1950年頃、バレーボール、ゴルフ、柔道、空手、ラグビー、ワンダーフォーゲル、アイスホッケー、弓道、応援団、合気道などの団体が部活として承認された。そして、体育会本部が初めて置かれたのも1950年のことである。初代体育部学生委員長に木村豊則(野球部マネージャー)が就任している。

そして、1960年より名古屋に位置する南山大学とスポーツにおける交流戦を行うようなった。上南戦と呼ばれ、毎年ホームを入れ替えて行われている。2009年度は50回目の記念大会でもある。

 

1965年以降、準硬式野球部、剣道部、洋弓、ハンドボール、アメリカンフットボール、ヨット、軟式テニス、バドミントン、競技ダンス部などが創立され体育会へ承認されてきた。
そして、現在の体育会では学生主体という活動の中で40団体が加盟し日々の練習に努めている。

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